マルに見紛う多角形

発達障害(ADHD、ASD)当事者が、勉強しながらキャリアとか考えてみます。

[雑記]調子の「波」を受け入れる

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こんにちは。

先日の投稿で、読書をする気も起きず手持ち無沙汰、だとお話しました。


http://issyadhd.hatenablog.com/entry/2016/11/21/%EF%BC%BB%E9%9B%91%E8%A8%98%EF%BC%BD%E6%82%AA%E3%81%84%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%A7%E3%80%8C%E7%A9%BA%E3%81%A3%E3%81%BD%E3%80%8D%E7%8A%B6%E6%85%8B%E3%81%8C%E7%B6%9A%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8Bissyadhd.hatenablog.com



マインドフルネスについても調べましたが、すぐには習得出来なさそうなので、長期スパンで考えようかなー、なんて思いつつ、ずっと読みかけだった「フリーター、家を買う」を読んでみたのですが、読み始めると意外や意外、その日のうちに読み終わってしまいました。






僕の気分には「波」がある、そしてそれは行動してみないと分からない


翌日も、この機会を逃すほかないと、読みたいと思いつつ中々読めていなかった本の中で極力薄いものを選んで読みました。「老人と海」です。

老人と海」って、名作!名作!と言われているので読んでみましたが、叙述的で話自体はすごく面白かったです。

ただ、「フリーター、家を買う」ほど軽く読める作品ではなかったですし、現在置かれている状況も「フリーター」ほど近くはなかったので、だいぶ体力を使ってしまったようで、その次の日は本を読むことが出来ませんでした。


また、迷惑メールが届いたりして少し鬱屈した気分になったり、本が読めないことでまた振り出しに戻ったような気持ちになったり、きっかけのようなことがいくつかあって、中々気の休まらない日々がこの2日ほど続きました。

なんというか、今振り返ると、実家から自宅に戻る前後までは、ものすごく自分に余裕がなくて、適応障害の症状自体は緩和していても、心の中が常にざわついている状態でした。
ですから、まともに本が読めなかったりもそうですし、妻や他者の気持ちも慮らなかったのだと思います。

それが少し落ち着いて、妻の気持ちを大切にしようと気づいたり、少しずつでも本が読める日が出てきたり、心のざわつきの方も、症状自体は良好に経過しているのだと思います。
しかし、些細なことで心が未だにざわつき始めるため、その日に何か行動して初めてその落ち込んでいる状態に気付く、というような時期に来ているのだと思います。






「波」に抗っても岸に押し返される。岸とは元の状態のこと


もともと躁鬱的な性格ですから、気分の「波」はどうしたってあります。
というより、誰にだって気分の「波」なんてあるのだと思いますが、自分の場合、谷底の状態に近い時に抗い過ぎている節があります。

ある意味、「波」に必死になって抗った結果、心や身体の傷となり、現在の状態を招いているわけです。

仕事もしていない状態なのに、その「波」に抗っても、自分を追い込むだけで何もいいことがないことにいい加減自覚しないといけなかったのです。

仕事をしていたって、理不尽な理由で怒られたり、自分のキャパシティ「超えてしまうことがあったり、「波」の底の時期はきますが、そこで抗うと必ず傷を負います。


サーファーではありませんが、自分自身「波」が生じやすい性格であること、その「波」に抗うと傷ついてしまうことを自覚して、1つ1つの物事に対処していきたいと思います。




今日の記事はこれで終わりです。読んでくださった方々、ありがとうございます。