マルに見紛う多角形

発達障害(ADHD、ASD)当事者が、勉強しながらキャリアとか考えてみます。

[雑記]ADHDが「やりたくない」をやる〜欲求と義務感の間〜

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こんにちは。

突然ですが、自宅に戻って以来、約1週間ほどですが「勉強すること」にハマっています。
「ハマっている」と書くとなんとも殊勝なように聞こえます。
しかし、実際は、やりたいからやる、という「欲求」と、やらなければならないからやるという「義務感」の間で揺れながら、なんとか行動できている、というのが実情です。

しかし、それでもぼくにとっては大きな進歩。なぜなら、自主的な勉強など中学〜現在までにおいて3日と行ったことがないからです。

それも、中学以来、嫌いでしょうがなかった英語や、入社以来どうしても受け付けなかった会計の勉強を現在行っています。

一般的に、ADHD特性を持つ人は「嫌悪感を抱くものがどうしてもできない、後回しにする」ことが多いと思うので、この特性に悩んでいる方は多いと思うのですが、改善に少しでも役立てばと思い、まだ1週間しか経っていない今だけれど、今回の記事を書こうと思い至りました。




根源にあるものはなりたい自分への「欲求」


ぼくは、小学校高学年から中学校2年生くらいまで、あまり勉強していないのに人よりもあきらかに高得点が取れました。その頃は、「将来、当然英語でコミュニケーション取れるようになってるだろうな」とか、「何かの専門分野で活躍しているだろうな」と、努力もしていないくせに将来の「なりたい自分像」を勝手に思い描いていました。

いや、正確に言うと、今でも「こうなりたい」と思っている自分がいます。
ある時期、妹の圧倒的な頭の良さに打ちのめされ、ぼくはさらに勉強が嫌いになり、勉強しない自分を正当化し始め、自分に対して諦めの感情を持ち始めました。

しかし、やはり僕は、「人よりも少し勉強ができる自分」が好きで、自信を持っていて、そのステータスを示す状態として、「英語がペラペラ」、「専門分野で活躍」する自分を想定していたのです。




「欲求」が「義務感」に変わると、途端にやる気がなくなる自分


僕は上述した欲求を持ちながら、結局今まで行動を起こせませんでした。大学でも、社会人になってからすぐでも、何かしらの行動を起こせば、少しずつでも「なりたい自分」に近づけるのに、「今更もう遅い」とか、適当な理由をつけて頑張ることから逃げていました。

おそらくその時はこう考えていたのではないかと思います。


理想の自分像とは、「なりたい自分」ではなく「ならなければならない自分」である、と。


こう考えると、途端にやる気がなくなります。
なぜならば、理想の自分になるためには「やらなければならない」嫌なことが山積しているわけです。その山を見て、足がすくんだ時に、さらにADHD特性が顔を出し、後回しにする、最悪やらない、というサイクルを形成してしまうのです。




魔法の言葉「やりたくないならやらなければいい」


そんな自分も、3ヶ月の休職を通して、生活リズムを戻し、様々な気づきに触れて、少しずつでも社会復帰の準備を進める中で、「何かしたい」と思うようになってきました。

そこで、自宅に戻ってからは、積読していた英単語帳や英語おさらい本、会計基礎本に取り組んでいるわけですが、この「何かしたい」という欲求にならない時は、基本無理に動かないようにしています。

1度の勉強時間も、10分〜30分がほとんどです。飽きたらすぐにやめます。 で、また「何かしたい」と思ったらテキストを広げます。

やりたくないならやらなくていい、常に自分に言い聞かせると、不思議なことに暫くするとまた何かしら「したくなっちゃう」んです。 していない状態に嫌悪感を抱くんです。この感覚、何と無くでも共有していただけるといいんですが、文章でうまく伝えられないことが歯がゆいです。

我ながらなんという天邪鬼かと思いますが、そういう性分だから仕方ないのです。これが僕に1番合った勉強法でした。




僕たちにとって「したくない」時は「すべき」タイミングではないのかも


上述した通り、「したい」といった感情が芽生え始めた時がやりどきで、「飽きた!やりたくない
」と思った時がやめどきです。

しかし、「やらなければならないこと」は生きて行く中でどうしてもありますが、そうなれば、やりたい理由を適当につけて、5分だけでもやるとか、とっかかりを見つけるといいと思います。経験の話になりますが、やっていくうちに「しょうがない、やるしかないか。。。」と諦めの気持ちがモチベーションになることもあります。もうモチベーションになって仕舞えば、「したい」状態も一緒だと、強引に考えて仕舞えばいいのかな、といまは思います。



あくまで僕の主観なので、全く参考にならなかったかもしれませんが、なにか少しでも「なるほど」と思えるところがあれば幸いです。



今回はこれで終わりです。読んでくださった方々、ありがとうございました。