発達障害重ね着男の備忘録

発達障害(ADHD、ASD)持ち。備忘録的に継続して行く事が目標です。

ブログの趣旨とか自己紹介とか、その他いろいろをひとまとめ

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こんにちは。 

次の段落からは、「だ、である」調で文章を書こうと思います。その方が自分らしいと思うので。あと、ダラダラ書いているので長いです。ごめんなさい。
 
まずは自己紹介から。  名前はいっしー。  
好きな事はハロプロ、登山(といいたい)、物を考えること(仮説を立ててその結論を考える、検証は後から)、地のものを飲み食いすること、ウィスキー(初心者)、競馬(あんまり賭けない、馬が好き)、読書、少年ジャンプ、邦楽、洋楽問わずロック系好き
 
性格及び特性は自己主張強め、衝動性強め、論理性大好き。物語的記憶力は高め、ワーキングメモリーは少なめ。聴覚過敏、季節の変わり目に必ず風邪をひくほど身体が弱い。スポーツはほぼ苦手、道具使う系(野球、卓球、テニス、バド)は例外的に得意。フォッサマグナを基準として、東及び北の民なので、自己主張強いわりにシャイという面倒な一面を持つ。現在は西の方在住だか、西の水と赤い味噌は僕には合わない。
 
 
先日(と言っても2ヶ月以上前)ADHDの確定診断を受け、発達障害者となった。 しかし、手帳はまだもらってないので、いわゆる「グレーゾーン」に分類されるかと思われる。 また、養育歴や趣味嗜好の拘り等の聞き取り、WAIS-Ⅲ検査の結果、高確率でASDも併発しているとのこと。
 
正直、予測はしていた。まず、歳の離れた弟がASDだったから、症状とか遺伝性とか、それなりに知識はあった。母は話し好きなので、僕の幼少期の話もよくしてくれたし、自分自身思い当たる節もあり、「俺もアスペルガーなんじゃね?」と思っていたし、母もそう思っていたようである。 僕はゆとり前期世代、弟はゆとり後期世代。僕の世代の頃は、「発達障害」なんて言葉、誰も知らなかった、とは母の弁。
 
それでも、親の仕事の都合で転勤を繰り返し、友達が出来ないとかいじめられるとかの経験を経て、高校では運動部で部長を任されるくらいには人望のある人間になれた。 大学では、授業には途中から全く出られなくなったけど、登山や400キロ野宿旅とかするサークルで代表やったりしながら、ギリギリ四年生になれた。そんな自分は割りかし「普通より上のカースト」の人間だと思ってた。というか、思いたかったんだと思う。
 
そんな僕の「砂上の楼閣」的自信を打ち砕いたのは、この混沌とした社会。
 
就活で挫折し、心療内科に通うようになり、一年留年せざるを得なくなって半年実家に帰った。2度目で何とか内定をもらい、大学でも人が変わったように勉強した。
 
もう大丈夫。またもや僕は「砂上の楼閣」自信を勝手に築いてた。
 
入社後、あまりの自分の出来なさ、マルチタスク対応への弱さ、人間関係構築の苦しさ、先輩の厳しい言葉のみ拾うなど、とにかく不適合に苦しみ、またも自信は砂が風に流されるように、綺麗さっぱり無くなった。便は出なくなり、寝られなくなり、休日はとにかく寝て過ごした。それでも、1年間は、言葉は死ぬほどキツイけど様子を見ながら仕事を振ってくれた上司のおかげもあり、何とか乗り切れた。付きあっていた彼女と結婚を決めたのもその頃。 
 
2年目、部署も上司も変わった。上司は僕のような人間を認めてくれるタイプではなかったし、年が近いこともあって、僕自身認めてくれることを期待してしまっていた。反省。
その上司を乗せて車を運転していたところ、隣でワーワー言われすぎて、パニックになって赤信号で突っ込みかけた。
 
これがきっかけで心療内科を受診。大学以来2度目。安定剤と抗精神薬を処方するだけで、参っている僕に「頑張れ」という、中々アウトローな主治医だった。
 
妻との結婚を機に、都市部へ移住。その頃、「2日寝られない仕事」を課され、僕には無理です、と心療内科通いをカミングアウトした。「診断書出せ」と言われたので、診断書をもらいに新しい心療内科へ行ったところ、予想外の「ADHD」診断。決め手はカウンセリング、WAIS-Ⅲの結果だった。まぁ、言語性IQと動作性IQの差が30(15以上から障害としての有意性が認められるとのこと)、項目別だと45近いのもあったから、以前の先生がアウトローだったと思うけど。
 
そんなこんなで産業医面談で「死んだ魚の眼をしている」と言われたこともあり、お盆前に休職で今に至る。一応12月に部署変えてもらって復職はするつもり。妻も働いているとはいえ、経済的に苦しいので。
 
休職してから今まで、何してたかというと、大きく3つ。  
 
1つ目は、兎に角休んでた。薬の副作用もあったし、疲れきった心を癒すには眠るしかなかった。約束を破って妻に悲しいおもいをさせてしまっても、それでも兎に角寝ていた。1日の半分〜2/3は寝てた。これが8月いっぱいくらい。
 
2つ目は、他の発達障害者の方のブログを見たり、kindle発達障害関係の本読んだり、とにかく調べた。自分の今の状態を知りたかったし、他の人はどうやって生きているんだろう、ということには唯一興味があった。というか、自分の生き死にに関わるから、そこだけは寝ながらでも情報を集めた。寝ながら情報収集出来るスマホkindleに本当に感謝。
 
3つ目は、生活リズムを整えた。これは9月入った頃から始めて、ようやく今、小・中学性くらいの生活リズムで日々過ごせるようになった。薬の副作用も引いてきた。ADHDの薬、ストラテラはどんどん増量されて今はMAX、増やされる度に副作用の胃もたれ、覚醒に悩まされたけど、今は睡眠薬と胃薬併用で何とか生活出来てる。
 
このブログを書こうと思ったのは、主に2番目の役割の一翼を担えたら、と思ったから。
同じ境遇のブロガーの皆さんに、僕は本当にたくさんのことを教わったし、救われた面もある。「あぁ、俺より大変なのに、折り合いつけて頑張ってるんだ」って。 このブログが少しでもその役割を果たせたならこれ以上幸せなことはない。
 
今の所、収益を目的にはしていないが、今後の経済事情でそれは変わるかもしれない。
 
しかし、収益が不必要な状態であっても、僕は恐らく無理のない範囲でブログを書くと思う。なぜなら、書くことが好きで、自己主張が強いから。
 
なので、僕がしたいことが、結果誰かの役に少しでもたてばいいなぁ、くらいのスタンスのブログである。あとは、実体験や僕の考えをもとにしているので、客観的要素は少なめかもしれないが、それでも良ければ見て欲しい。
 
ここまで読んでくれた方々、本当にありがとうございました。

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