マルに見紛う多角形

発達障害(ADHD、ASD)当事者が、勉強しながらキャリアとか考えてみます。

仮説① 自分が発達障害であると告げられてからの6つの段階的行動について

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どうも、

さて、これは僕の主観100%、ブロガー諸先輩方の中でも同じこと考えてらっしゃる方もいるんだな、程度の仮説なので、その点はご了承を。

まず、発達障害と医者から告げられた場面を物語の始まりとする。以下、段階的行動である。


①否認、受容拒否

「あなたは発達障害ADHDです。」と告げられた時、僕は、「あー、そっち!?」というのが正直な気持ちだった。ASDと言われる覚悟はあっても、ADHDと言われる覚悟は持ち合わせていなかった。 それまでの経験において、出来ない分野での自己評価は極めて低かったので、「障害というより、俺の能力が低いだけなんじゃないかな?」なんて楽観していた。ストラテラも気休めとしか思ってなかった。 この状態、全く自分の特性を受容出来ていない。 この期間が1〜2週間くらい続いた。

②生への怨嗟

よくよく調べてみると、思い当たる節があり過ぎるほど出て来る。「この本の作者はいつの間に俺に取材したんだ?」なんてものまである。そして、ASD同様、遺伝性の可能性が高い障害であること。怒りの矛先は、無知ゆえに子供を何人も何人も産み育て、エジソンアインシュタインの親のように、子供の特性を十分理解して育ててこなかった親に向かう。「なんで発達障害の遺伝子持ってるくせに子供作ったんだ、馬鹿どもが!!どれだけ苦しんできたか、分かってるのかボケども!!」と、衝動性も手伝い、これでもかと罵った。 最低な子供である。 僕の場合、この考え方に3週間は囚われ続けた。

③不安への直面

漸く親を恨んでも今更仕方ない、と気付くが、今後どうやって生きていけばいいか分からない。好きなことならできる、なんて言うが、25を過ぎたゆとり世代かつスキルなしに、好きなことで食べていく時間的、金銭的、スキル的余裕の1つでもあるだろうか。 どうやって生きていこう、そればかり考えていた。

④諦観

不安に思うことすら、バカらしくなる。そもそも、障害だと思うから辛くなる。これは、何人かにカミングアウトした時、全員から言われたことだが、「今更障害者とか言われても、俺らの中ではなんも変わんねーから」。そうか、そういう考えもあるか、と。そういう特性に生まれてきたことを諦観するしかないな、と思うようになる。

⑤生きる意味の追求

とは言え、いわゆる「普通」に生きられない以上、これまで培ってきた「普通」以外の生きる意味を見出さなければ、と考え始める。なにか自分に向いていることはないか、得意なことはないか、探し出す。

⑥スモールゴールの設定

考えに考え抜いた結果、そんなインスタントラーメンみたいに見つかるものでも、短期で出来るものでもないことに気付く。
そう簡単でないのなら、短期スパンのスモールゴールに向けて動き出すしかないことに気付く。自分の場合、それが復職だった。生活リズムを整えることにまず重点を置いた。その後、職業評価やリワークプログラム参加に向けて動き出した。



これが現在の私の状態である。将来的なゴールを決めるのはまだ先でいい。自分の人生という物語の主人公は自分であるが、物語は他の登場人物も出てこなければ成立しない。主人公を殺すことなく、登場人物も笑っていられる、そんな人生物語の幕引きを意識して、将来的なゴールを決めていきたいと、「いま」は思っている。