マルに見紛う多角形

発達障害(ADHD、ASD)当事者が、勉強しながらキャリアとか考えてみます。

[考察]ADHDの特性、「過集中」について

こんにちは。

今回は、発達障害当事者として、「過集中」についての自分なりの考えを書いていこうかと思います。

そもそも「過集中」とは

そもそも論で、「過集中」とは一体なんなんでしょうか。
読んで字のごとく「過剰に集中すること」とは言いますが、「過剰に」の部分に発達障害者と定型発達者の「集中」の違いがありそうです。

僕の考えでいうと、過集中とは「ある複数の条件を満たした時に陥る、強烈な集中状態」です。声をかけられても聞こえないし、時間感覚も無くなります。スポーツでいう、「ゾーンに入る」状態に近いと思います。(ゾーンはいろんな漫画、例えば黒子のバスケなんかで詳しく描写されています)

最大のメリットは、「とにかく時間当たりのパフォーマンスが尋常じゃなく優れている」ことだと思います。(ex:2000字のレポートが気がついたら終わっている、その間なんと60分!)

一方で、単純なデメリットとしては、その後の「尋常じゃない倦怠感」が挙げられます。過集中後、普段とは比較にならないほどの倦怠感が襲ってくるので、ほぼ何もすることができません。


過集中に入る条件と、「過集中」の本当のデメリット

これはあくまで僕の場合です。他の条件がある人、すんなりか集中に入ることができる人もいるかもしれませんので、ご参考までに。

①興味が少なからずある分野の作業であること
②期限が極限まで差し迫っていること

僕の場合はこの2点です。というか、静かな環境で特に興味のある分野の本を読んでいたりすると、勝手に過集中になってしまいます。

問題はさほど興味のない分野の作業です。経験則ですが、まず「過集中」状態に入れません。


ここから、「過集中」の最大のデメリットのついて記します。

それは、ズバリ「過集中に期待し、依存した結果、興味がない作業はまず終わらない」ということです。

一度、過集中状態のサクサク処理ができる感覚、大げさに言えば気付いたら作業が終わっている感覚を体験してしまうと、その後の倦怠感を差し引いても、「過集中」状態での処理に期待をしてしまいます。通常の状態で作業を行うことが億劫に感じるのです。

しかし、興味がない分野では過集中は発揮されませんので、大方結果は大惨事、日を見るより明らかなのですが、あのサクサク感の依存度は計り知れず、どこかで期待してしまうのです!

興味がない、苦手な作業を「過集中」に頼ってこなそうとすると、引き伸ばしぐせがついてしまいます。僕の仮説ですが、ADHDの特性に「引き伸ばしぐせ」が挙げられるのも、それが根底にあるのではないかと思います。


「過集中」に頼らずに作業を行うために

興味のない分野でのデメリットもお伝えしましたが、興味があったとしても、過集中後はひどい倦怠感に襲われますので、基本的には過集中に頼らず作業をすることが望ましいと思います。

そこで、過集中が発揮されない前提で、物事をコツコツとこなすために何をすべきか、3点ほど考えてみました。


①逆に集中できないような場所で作業する。(音楽をかける、など騒がしい環境を作る)
集中できる環境にいるから過集中になるのです。だったら、集中できない環境に行って、少しずつ進めていけばいい。という発想です。

②「〇〇までやる!」と時間や範囲を決めずに、心が拒否反応を示しだしたらすぐにやめる。
過集中の倦怠感は、心が拒否反応を起こしているのに、我慢して集中状態を維持した結果だと思います。「めんどくさい、だるい」と思ったらやめてしまえば、倦怠感も少しは和らぐはずです。

③ ②を踏まえ、作業計画には常に余裕を持たせる。
もともと興味がないことはとことんやることができないASD気質もあるので、僕の場合はかなり余裕を持たせた計画を取らなければ、心がすぐに拒否反応を示してしまった場合に結局間に合わないので、緻密な計画作成は必須です。

これら3点は、休職中に考えたものなので、僕自身まだ第1線で活用できていないため、多少なり改良の余地はあると思います。ただ、当分はこれでなんとか過集中のデメリットを防いでいこうと思います。


終わりに


発達障害者といっても十人十色。僕のやり方が必ずあっているなんてことは絶対にないし、僕の症状と全く同じだ!という人もいないと思います。

それでも、多少似ているな、とか、これは俺には合わないな、とか取捨選択していただける情報として(だいぶ主観的ではありますが)、一当事者の戯言として受け取っていただければ良いな、と思います。



今日も読んでくださった方々、ありがとうございました。

[考え方の工夫]発達障害の「優先順位の付け方」について

こんにちは。

便宜上「発達障害の」、と括ったが、僕はADHD特性の「やりたくないことはない後回しにしがち」な面、ASD特性の「物事に対する拘りの強さ」から、優先順位が上手くつけられず、会社での業務に支障をきたしていた。

そこで、今回はどのように優先順位を付けていくのが僕たちにとってベストなのかを考え、一定の答えが出たので、ご紹介しようと思う。



- ①自分なりの「must」、「want to」、「should」を作る。


業務にしろ、日常生活にしろ、対処する事柄に対する捉え方は、「must」、「want to」、「should」の3つ、つまり「しなければならないこと」、「したいこと」、「すべきこと」の3つに分類されると思う。それぞれをどのように捉えるか、僕なりの考えを書き連ねていきたい。

⑴must:しなければならないこと。何方かというと受動的な意味合いで使われる場面が多い。
(例)税金の払い込みをする、締め切りの決まった業務を行う、法律や内規を守る

⑵want to:したいこと。能動的な意味合いで使われる。
(例)寝たい、漫画を読みたい、アイドルの曲を聴きたい、得意な業務をやりたい

⑶should:すべきこと。能動的にも、受動的にも使われる。世の中で良いとされることや、自分がすべきだと認識していること。
(例)運動する、資格の勉強をする、締め切りまで期間はあるが結局はやらなければならない仕事をする


- ②「must」、「(don't)want to」、「should」の組合せ


先の項目で述べた「must」、「(don't)want to」、「should」だが、個人的にはその組合せは4つだと思っている。

⑴「don't want to」かつ「must」
つまりは、「したくない」が、「しなければならない」ことである。
例えば、「この仕事、苦手だしやりたくないなぁ…でも期日は明後日だし…」というような場合だ。「運動苦手だし走りたくないけど、血糖値高いから痩せなきゃいけないんだよな」とかも当てはまると思う。

⑵「want to」かつ「must」
「したい」し、「しなければならないこと」である。中々少ない事例だとは思うが、その中で例をあげる。「やりたいと思っていた勉強が、会社から必ず取るようにと言われている資格と同じ分野なので、張り切って勉強する。」こと、「もともと倫理が好きだが、センター試験の科目になっているので勉強する」などだろうか。

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⑶「should」かつ「want to」
「すべきこと」であり、「したいこと」。
「今は人事部門で給与計算を任されているが、労務管理の勉強をしたい。将来的に労務管理を担当するかもしれないので、勉強しておきたい。」、であるとか「血糖値にはなんら問題はないが、予防の意味で今から定期的に運動がしたい。」という場合、つまり、近々に迫ってはいないが、将来的に役立つことで、かつしたいこと、と言ったところだろうか。

⑷「should」かつ「don't want to」
「すべきこと」だが、「したくない」こと。
⑶の逆と考えるとわかりやすい。例えば「血糖値が上がるかもしれないし運動した方が良いのは分かっているけど、やりたくない」、「将来労務管理を任されるかもしれないけれど、あまり興味がないし今から勉強はしたくない」といったような場合。


- ③4つの組合せの中で、優先順位を付ける

まず、当然ではあるが、「しなければならない」>「すべきこと」 の優先順位が成立する。「しなければならない」と「すべき」の最大の違いは、事態の緊急性だと思う。定型の方々は当たり前のことだと笑うかもしれないが、ある程度明確な指示を受けないと、発達障害特性を持つ方々は、その緊急性が分からない場合がある。だから、「それはいつまでが期限ですか?」という趣旨を、相手の気分を損ねない言い方に変えて予め聞いておくと良いと思う。その中で、「must」か「should」かを判断する。

更に言うならば、定型の方々と比して、ADHD障害特性を持つ方々は、「興味のあること」、つまり「want to」な事ならば、言われずともやっている場合が多い。この特性を鑑みると、「must」な事柄については、「don't want to」の事から、つまり嫌な事から始めた方が良い。しかし、「should」な事柄については、僕は無理にやる必要はないと思っている。⑷は、必ずやろうと思うと、物凄く精神的負荷の高い事柄となってしまう。⑷は、後々⑴に昇華する場合がある(期限が近づいてくる、血糖値が基準値を超える、など)⑴になったと判断された時、優先順位を入れ替えれば良い。


まとめると、⑴「don't want to」かつ「must」>⑵「want to」かつ「must」>⑶「should」かつ「want to」 ※⑷「should」かつ「don't want to」は、⑴に昇華する場面が想定されるので、その点にだけ留意すれば無理に取り組む事はない。

となる。

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今日は以上となります。読んでくださった方々、ありがとうございました。

[工夫]心療内科に行く前には、メモを取るといいかも!

頭の中が散らかるADHD

発達障害という括りでも広範囲なのに、ADHDという限られた病名の中でも症状は十人十色。
僕の場合は、常に頭の中がとっ散らかっており、5〜6個位の事柄を無意識下で同時に物事を考えている感覚があることが主症状だろうか。
そんな状態で心療内科に行こうものなら、さぁ大変。「何から話そう」、「今日は天気がいいからこの後お散歩しようかな」、「今日はkindleセール日だったな」とか同時に考えながら、カウンセリングを受けている。ほとんどの話は不毛なもの。
お互いにとって損。僕は、お金を払っているのに伝えたいことが伝えられない。担当医は僕1人のために時間を取られる。Win-Winならぬlose-loseの関係だ。
これはなんとかしなければ。僕は色々と考えた。

辿り着いたのは、メモ作成でした

前日以前にメモを作成する。話したいことをバーッと書いていって、それを推敲する。以下は参考までに撮ったスクショだ。

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これで、カウンセリング時間をだいぶ減らすことができた。今は5〜10分程度だろうか。薬の増減や、具体的なケース対処の話が多くなった。これは、経験というよりも、限られたcase-by-caseで物事を把握する僕にとっては本当に大きい。

メモ自体は、僕はiPhoneの基本アプリを使っている。アナログにノートでもいいし、僕はあまりアプリ方面に明るくはないが、使い易いメモアプリが他にあればそれでもいい。
大切なのは手段ではなく、「考えを整理し、文章化する」という過程と、「カウンセリングの有意性を高める」という結果である。

今日のまとめ

ADHDはじめ、発達障害の特徴には定型的なものはないと言っても過言ではないようだ。 症状ではなく、自分の特性を説明する必要がある。
初めのうちは、とにかくやってみること。そのうち精度はついてくるだろう。かくいう僕も、この間担当医から、「分析の精度が向上したね」とようやく言われたくらいだ。

自分の事は中々自分では分からないものだが、とにかく①分かろうとする姿勢、②メモの習慣化、が大切ではないかと感じた。


今日も最後まで読んでくれた方、どうもありがとうございました。

仮説① 自分が発達障害であると告げられてからの6つの段階的行動について

どうも、

さて、これは僕の主観100%、ブロガー諸先輩方の中でも同じこと考えてらっしゃる方もいるんだな、程度の仮説なので、その点はご了承を。

まず、発達障害と医者から告げられた場面を物語の始まりとする。以下、段階的行動である。


①否認、受容拒否

「あなたは発達障害ADHDです。」と告げられた時、僕は、「あー、そっち!?」というのが正直な気持ちだった。ASDと言われる覚悟はあっても、ADHDと言われる覚悟は持ち合わせていなかった。 それまでの経験において、出来ない分野での自己評価は極めて低かったので、「障害というより、俺の能力が低いだけなんじゃないかな?」なんて楽観していた。ストラテラも気休めとしか思ってなかった。 この状態、全く自分の特性を受容出来ていない。 この期間が1〜2週間くらい続いた。

②生への怨嗟

よくよく調べてみると、思い当たる節があり過ぎるほど出て来る。「この本の作者はいつの間に俺に取材したんだ?」なんてものまである。そして、ASD同様、遺伝性の可能性が高い障害であること。怒りの矛先は、無知ゆえに子供を何人も何人も産み育て、エジソンアインシュタインの親のように、子供の特性を十分理解して育ててこなかった親に向かう。「なんで発達障害の遺伝子持ってるくせに子供作ったんだ、馬鹿どもが!!どれだけ苦しんできたか、分かってるのかボケども!!」と、衝動性も手伝い、これでもかと罵った。 最低な子供である。 僕の場合、この考え方に3週間は囚われ続けた。

③不安への直面

漸く親を恨んでも今更仕方ない、と気付くが、今後どうやって生きていけばいいか分からない。好きなことならできる、なんて言うが、25を過ぎたゆとり世代かつスキルなしに、好きなことで食べていく時間的、金銭的、スキル的余裕の1つでもあるだろうか。 どうやって生きていこう、そればかり考えていた。

④諦観

不安に思うことすら、バカらしくなる。そもそも、障害だと思うから辛くなる。これは、何人かにカミングアウトした時、全員から言われたことだが、「今更障害者とか言われても、俺らの中ではなんも変わんねーから」。そうか、そういう考えもあるか、と。そういう特性に生まれてきたことを諦観するしかないな、と思うようになる。

⑤生きる意味の追求

とは言え、いわゆる「普通」に生きられない以上、これまで培ってきた「普通」以外の生きる意味を見出さなければ、と考え始める。なにか自分に向いていることはないか、得意なことはないか、探し出す。

⑥スモールゴールの設定

考えに考え抜いた結果、そんなインスタントラーメンみたいに見つかるものでも、短期で出来るものでもないことに気付く。
そう簡単でないのなら、短期スパンのスモールゴールに向けて動き出すしかないことに気付く。自分の場合、それが復職だった。生活リズムを整えることにまず重点を置いた。その後、職業評価やリワークプログラム参加に向けて動き出した。



これが現在の私の状態である。将来的なゴールを決めるのはまだ先でいい。自分の人生という物語の主人公は自分であるが、物語は他の登場人物も出てこなければ成立しない。主人公を殺すことなく、登場人物も笑っていられる、そんな人生物語の幕引きを意識して、将来的なゴールを決めていきたいと、「いま」は思っている。

ブログの趣旨とか自己紹介とか、その他いろいろをひとまとめ

こんにちは。

 
まずは自己紹介から。  名前はいっしー。  

 
性格及び特性は自己主張強め、衝動性強め、論理性大好き。物語的記憶力は高め、ワーキングメモリーは少なめ。聴覚過敏、季節の変わり目に必ず風邪をひくほど身体が弱い。スポーツはほぼ苦手、道具使う系(野球、卓球、テニス、バド)は例外的に得意。日本の東及び北の民なので、自己主張強いわりにシャイという面倒な一面を持つ。
 
 
先日(と言っても2ヶ月以上前)ADHDの確定診断を受け、発達障害者となった。 しかし、手帳はまだもらってないので、いわゆる「グレーゾーン」に分類されるかと思われる。 また、養育歴や趣味嗜好の拘り等の聞き取り、WAIS-Ⅲ検査の結果、高確率でASDも併発しているとのこと。
 
正直、予測はしていた。まず、歳の離れた弟がASDだったから、症状とか遺伝性とか、それなりに知識はあった。母は話し好きなので、僕の幼少期の話もよくしてくれたし、自分自身思い当たる節もあり、「俺もアスペルガーなんじゃね?」と思っていたし、母もそう思っていたようである。 僕はゆとり前期世代、弟はゆとり後期世代。僕の世代の頃は、「発達障害」なんて言葉、誰も知らなかった、とは母の弁。
 
それでも、親の仕事の都合で転勤を繰り返し、友達が出来ないとかいじめられるとかの経験を経て、高校では運動部で部長を任されるくらいには人望のある人間になれた。 大学では、授業には途中から全く出られなくなったけど、登山や400キロ野宿旅とかするサークルで代表やったりしながら、ギリギリ四年生になれた。そんな自分は割りかし「普通より上のカースト」の人間だと思ってた。というか、思いたかったんだと思う。
 
そんな僕の「砂上の楼閣」的自信を打ち砕いたのは、この混沌とした社会。
 
就活で挫折し、心療内科に通うようになり、一年留年せざるを得なくなって半年実家に帰った。2度目で何とか内定をもらい、大学でも人が変わったように勉強した。
 
もう大丈夫。またもや僕は「砂上の楼閣」自信を勝手に築いてた。
 
入社後、あまりの自分の出来なさ、マルチタスク対応への弱さ、人間関係構築の苦しさ、先輩の厳しい言葉のみ拾うなど、とにかく不適合に苦しみ、またも自信は砂が風に流されるように、綺麗さっぱり無くなった。便は出なくなり、寝られなくなり、休日はとにかく寝て過ごした。それでも、1年間は、言葉は死ぬほどキツイけど様子を見ながら仕事を振ってくれた上司のおかげもあり、何とか乗り切れた。付きあっていた彼女と結婚を決めたのもその頃。 
 
2年目、部署も上司も変わった。上司は僕のような人間を認めてくれるタイプではなかったが、年が近いこともあって、彼もいつか認めてくれるだろうと期待してしまっていた。反省。
その上司を乗せて車を運転していたところ、隣でワーワー言われすぎて、パニックになって赤信号で突っ込みかけた。
 
これがきっかけで心療内科を受診。大学以来2度目。安定剤と抗精神薬を処方するだけで、参っている僕に「頑張れ」という、中々アウトローな主治医だった。
 
妻との結婚を機に、都市部へ移住。その頃、「2日寝られない仕事」を課され、僕には無理です、と心療内科通いをカミングアウトした。「診断書出せ」と言われたので、診断書をもらいに新しい心療内科へ行ったところ、予想外の「ADHD」診断。決め手はカウンセリング、WAIS-Ⅲの結果だった。まぁ、言語性IQと動作性IQの差が30(15以上から障害としての有意性が認められるとのこと)、項目別だと45近いのもあったから、以前の先生がアウトローだったと思うけど。
 
そんなこんなで産業医面談で「死んだ魚の眼をしている」と言われたこともあり、お盆前に休職で今に至る。一応12月に部署変えてもらって復職はするつもり。妻も働いているとはいえ、経済的に苦しいので。
 
休職してから今まで、何してたかというと、大きく3つ。  
 
1つ目は、兎に角休んでた。薬の副作用もあったし、疲れきった心を癒すには眠るしかなかった。約束を破って妻に悲しいおもいをさせてしまっても、それでも兎に角寝ていた。1日の半分〜2/3は寝てた。これが8月いっぱいくらい。
 
2つ目は、他の発達障害者の方のブログを見たり、kindle発達障害関係の本読んだり、とにかく調べた。自分の今の状態を知りたかったし、他の人はどうやって生きているんだろう、ということには唯一興味があった。というか、自分の生き死にに関わるから、そこだけは寝ながらでも情報を集めた。寝ながら情報収集出来るスマホkindleに本当に感謝。
 
3つ目は、生活リズムを整えた。これは9月入った頃から始めて、ようやく今、小・中学性くらいの生活リズムで日々過ごせるようになった。薬の副作用も引いてきた。ADHDの薬、ストラテラはどんどん増量されて今はMAX、増やされる度に副作用の胃もたれ、覚醒に悩まされたけど、今は睡眠薬と胃薬併用で何とか生活出来てる。
 
このブログを書こうと思ったのは、単純な理由。
同じ境遇のブロガーの皆さんに、僕は本当にたくさんのことを教わったし、救われたから。「あぁ、俺より大変なのに、折り合いつけて頑張ってるんだ」って。 このブログが少しでもその役割を果たせたならこれ以上幸せなことはない。
 
なので、僕がしたいことが、結果誰かの役に少しでもたてばいいなぁ、くらいのスタンスのブログである。あとは、実体験や僕の考えをもとにしているので、客観的要素は少なめかもしれないが、それでも良ければ見て欲しい。
 
ここまで読んでくれた方々、本当にありがとうございました。